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悲喜交交 [みのむしふとん]

専ら風邪を治すべし、と閑そうに寝ていたところ、
「そうはさせじ!」と、またまた難題が降り懸かった。

それは、先日、オーダーを頂いた本麻フトン。
初期納品の各5枚については、先ず第一が検品なのである。

最初送って、色々と駄目を指摘され、それを直して再発送をしたのだが、また、【駄目】。

「ええっー」である。

こうなれば、風邪とも言っておられず、
また気が張る所為か、風邪も吹っ飛ぶ。

布団についての原因は概ね究明でき、次はカバーの縫製。
カバーの縫製は、京都の(株)キムラさんで、弊社の担当は、その息子君。
(ちなみに、彼も、この日記の読者である。)

私「カバー、駄目やったで。」
息子「えっ? ほんとうですか? 自信あったのに。、あんなに頑張ったのに。、」
と、電話でも、その落胆振りが伝わってくる。

私「あかんもんは、あかんのや。」と、細部に渡って指摘した。
それから小一時間ほどして、再度、電話。

どうも、未だ落ち込んでいるらしい。

息子「この件に関しては、3日間、やり直しをして、ほんとうに自信があったんです。だから、駄目との電話を貰って、みんな半泣きです。
社長とも相談したんですが、それでも駄目なら、カバーについてはウチのレベルでは無理なんちゃうやろか、と思うんです。
こんなことでは、社長に御迷惑を掛けるだけやし、ですから、ふとん側だけは縫製させて貰って、カバーは他所でして貰うと言うのは、どうでしょうか…?」

私「なに言うてるねん。 レベルが追い付かんなんて、阿呆なこと言うとったらアカンやろ。お前トコは、あの難しい【みのむしふとん】でさえ、縫えたんやないか。」
息子「えぇ、あの布団を縫えた時は、『あぁ~、ウチでも、こんな難しいフトンが縫えたんやー』って、とっても嬉しかったんです。」
私「ワシは、今更、他所の縫製会社へ出そうなんて思っとらんよ。そやから、たとえ泣きもうてでも、OKの出るカバーを縫い上げんかい。そしたら、お前トコの自信にもなるやろうし、今後、どんな仕事でも請けられる会社に育つやろうが。」
息子「そうですか。そう社長に言うて貰えるんなら、もう一度、頑張ってみますわ。」

と相成って、明日、返送されてくる商品を一緒に見ることにした。
頑張ろうぜ、息子君!!

育つには 会社も人も 悲喜交交(こもごも)
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商品開発 [みのむしふとん]

この頃の私は、お布団以外の商材も手掛けている。
その一つが、近江の本麻を使ったものだ。

これから生き残る道であるが、ワタセの場合、一つには「みのむしふとん」を初めとするオリジナリティのある商品開発であり、もう一つは、今年の夏に通販生活さんで取り上げて頂いた「近江本麻布団」の様な地域の特色を活かした商品開発だろうと考えている。
その理由だが、価格で競争すれば、中国に敵うわけがないし、量的な勝負に打って出るには資本が無さ過ぎるからである。

この2番目であるが、先ずは「麻」だ。
それも近江の麻。

近江の麻は、鎌倉時代から愛知川水系(滋賀県の中部地方)で育まれた古い歴史があり、現在でも、織り、撚糸、晒し、染め、整理、縫製等々の地場の工場が残っている。品質は、あのシャネルやアルマーニに使われるほど、素晴らしい。

昔は、近江商人が、地場産品を商品開発して全国へと売り歩いたものだが、現在の流通の殆どは商社経由であり、下請け工場の感がある。

そこで私の役割だが、地場工場の社長と友達であることから、商品開発と市場開拓の両方を受け持つ「現代版近江商人かな」と考えている。もちろん、商品は地場産品の麻に拘る。

そんな訳で、近頃、布団以外の商品開発を始めている。
昨年、取り掛かったジャケットの成功に気を良くして、もある。

【近江麻の提案】として、ブラウス・浴衣までも作っている。
提案先は、通販生活さん。

(1)女性用ブラウス (ポリ50 リネン50)
  色 ネイビー150?p巾

(2)女性用ブラウス (綿50 リネン50) 
  色 オフ 110cm巾

(3)パジャマ (ラミー100)
  色 チェック  4m 110cm巾  

(4)ハンカチ (リネン100)
  色 グリーンとオレンジetc(草木染め)

(5)エプロン  (リネン100)
 (4番より太めの糸) 色 オレンジ(草木染め)

(6)ゆかた (麻100)
  花柄プリント 紺
  
(7)ベスト

(8)本麻シーツ(ラミー・リネン)
  本麻シーツ(リネン100)

それぞれについては、いっぱい伝えたい内容がある。

誰が、
何処で、
どの様に吟味して、
どのような工夫で、
どんな気持ちで、作っているのか。

これまでは、中国製であっても、一部を加工するだけで、日本製と表示出来たが、中国不信が広まる中、今後は、製造工程も表記する様になる。
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ふとん屋の星 (その2) [みのむしふとん]

(上からの続き)

私の場合、やれ「みのむしふとん」とか、それ「本麻ふとん」とか、卸部門の立ち上げとか布団のリサイクルとか、色々と忙しい割りに、儲からない。
だから余計に、彼が偉いと思う訳だ。
正直なところ私は、これからの小売店に、彼ほどの期待をしていなかった。
と言うか、イメージを作り上げ切れなかった。

そこで昨日、「チラシを送ってくれ」と彼に電話を入れた。
私「HPを読んだけど、アンタ、凄いな~。」
イナベさん「そんな、社長から言われると、背中に汗がグッショリですよ。」
私「いやいや、たいしたもんや。」

すると、早速、今日の午前中に届いていた。
『やっぱり、仕事が速いなぁ~』と感心する。

早速、拝見させて貰ったが、やはりチラシ一つをとっても根性の入り方が違う。
これまで他店のチラシが良いなんて思ったことがない私だが、感心した。よく勉強もされている。

タイトルに「ふとん屋の星」と書いたが、彼こそが星に相応しい。
星たる者は、みんなに勇気と希望を与えてこそ、スターである。

「えっ? 私はどうかって?」

はい、もちろん、私なりに頑張りますよ。

店舗スタッフには、彼の凄さを学んで貰い、
私は、もう暫く、ものつくりに没頭します。

星たるもの、
彼の様に、お客様に、社員に、同業者に、業界に、そして社会に尽くせてナンボや。
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ご無沙汰です。 [みのむしふとん]

随分と久々な日記で、数えれば10日以上のご無沙汰になる。
でも、病気もせず、私は相変わらず元気である。

日記を休み勝ちになった理由は、一つに寒いこと、二つには、PCに向かう時間が少なくなった為と思われる。
だいたい、私がPCに向かうのは、殆どが仕事絡みで、その時間が多くなる程、PC前の習慣が付くと云うか、その勢いとか惰性で、日記を書く事が多い。

さて、仕事絡みであるが、一つには新商品の開発の為と、もう一つは資金繰り表を見る事。
例えば、「みのむしふとん」の場合なんぞは、特許申請を弁理士さんにお願いするに当たっての申請理由は、三万字を三度書き直したりもしたし、通販生活さんへの提案書を書いたりも、やはりPC前の仕事となる。

これらは、仕事の中でも、それなりに楽しい部類で、もう一つの資金繰り表とのニラメッコは、あまり楽しくない。あれこれ前向きな仕事に知恵を絞る苦労と違って、金がない苦労は、なんとも味気ない。

資金繰り表は、実は、私がエクセルを駆使して作ったオリジナルだ。
月単位の出金と入金予定が、毎日の金の動き(経費、仕入れ、売り上げ、入金など)に連動して一目で分かる仕組みにしてある。景気の良かった頃には、資金繰りなぞ全く考えたことすら無かったのに、この10年近くは、真剣に見ている。

一昔前なんぞは、ある問屋への支払いを一桁多く勘違いして、えぇーっと、たしか70万円の支払い予定を700万円と間違ったと記憶しているが、それでも全く平気だった暢気な時代もあったが、この10年は、とてもそんな余裕はない。

そんな毎日を繰り返している私であるが、最近は、頑張った成果が出てきたのか、少し資金に余裕がある。
だから、資金繰り表をマジマジと見る時間が減り、その結果として、日記がご無沙汰・・・??

なーんて推測を立ててみたのであるが、うん??、、なんか嘘っぽいなぁ~。(爆)
あまり間を空けずに書きますので、見捨てない様にお願いします。

と言いつつも、明日は環境生協の合宿、明後日は青年会議所の歴代理事長会と、帰りが遅いので、今夜は出張帰りを押して、日記を書いた次第。、

みなさん。、寒い毎日ですが、風邪には気をつけて下さいませ。
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アタクスショップ最終 (その1) [みのむしふとん]

ちょうど10年前の平成10年に、アクタスと取引き契約書を交わし、本日、契約を終了した。10年一昔、とはよく言うが、過ぎてみれば、それなりの感慨もある。

当初、布団博物館の予定で建てた「コットンボール」であるが、社員から「アクタス・ショップをしてみたい!!」との要望を受け、急遽、予定を変更して、家具と雑貨の販売となった。

当時、「アクタスって、なんや?」と、その会社の名前さえ知らない私であったが、『まあ~、インテリアや家具などの勉強もして、生活全般の提案をするのも、良かろう。』と、アクタスへ電話した。
相手が、どの様な会社なのかも知らず、イキナリ電話をするのだから、無謀極まりない。

今も、そうだが、当時も、アタクスショップは、それなりに人口の多い都市にあり、店舗も大きくて、家具屋さんの経験者ばかりである。
それは、人口1万2千人の田舎で、しかも布団屋さんが「したい」と言うのだから、アクタスも戸惑ったらしい。
最初に、アクタスの社員Mが事情を聞きに来て、日を置いて、上司であるところの出店の責任者Kと共に、来社された。

後日談であるが、この日は、「丁重にお断りしよう。」と決めての来社であったはずが、
K氏「それでは、頑張りましょうか!!」となり、
M氏『えっ?? なんで・・・・。、』であったらしい。

先日、K氏とM氏と会食した際にも、この話になり、
K氏「いや、ほんとに、そうなんですよ。お断りに行った筈なのに、社長と3時間も話している内に、だんだんと頭がぼんやりして来て、なんか、出来そうな気がして来たんです。はい、催眠術にかかったみたいなもんですよ。」と、大笑い。

アクタスショップを閉めるに当たっては、お客さんから、「どうして!! とっても残念やわー。」と、惜しまれつつであるが、「ごめんねー。本業も忙しくなって、手が回らんのよ。」と、謝っている。

採算の面では、やはり地域の規模もあり、儲かりはしないが、アクタスのデザイン性とかテイストなんかは、私にも社員にも、大いにプラスになった。
今思えば、「みのむしふとん」を開発したのが、アクタスと取引きを始めて3年目だから、アクタスショップとの出会いがあって視野が広まったのかも知れない。

(下へ続く)
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ガキの使い 廃旅館1泊2日 (その1) [みのむしふとん]

私は、人をビックリさせるのが大好きで、その好きさ加減は三度の飯よりも好きと思える。

ビックリにも、単純なものでは隙をついて「ワッ!!」であるとか、少し込み入った悪戯をして引っ掛けるとか、またサプライズで歓ばせるとか、その他、お化けの話で怖がらすとか、その手法は色々だが、何れも大好き。

『どうして?』と聞かれると(誰も聞いてないしぃー)、
私の答えは、たぶん、こんな風か。

「だって、退屈しているんだもん。」

「何に退屈してるの?」と突っこまれれば、
「やっぱり、日常でしょうか。」と答えざるを得ない。

仕事もそうだけど、生活や日常茶飯事って、それらは、[継続]なり[連続]が基本となっている。もちろん、昨日と明日は、全く同じではなくって、少しずつ変化をしている訳だが、殆どの場合は遅遅として進まない程の「少しずつ」で、そこに安心が存在する。

「安心」とは、「変わらないモノ」であり、たとえ変わったとしても想定の範囲と云うか、先が読めた変化なり、更に自分にとって都合の良い情況への変化だ。

安心の概念に付いては、以前、「みのむしふとん」を開発するにあたって考えた事があるが、その時の私の結論は、そもそも「安心」と言う概念自体は具体として存在しなくて、それは、不安なり不測の事態に「それなりに」対処している「形」を以って、安心と呼んでいる、であった。
もちろん、「無知」から生まれる「安心」は、この範疇ではないが、残念な事に、人はいつまでも無知を通せない。

人は、安心していなければ一日たりとも過せない存在と見え、その為に色んな努力をする。
昨日と同じ様に今日を迎え、今日と同じ様に明日を迎えたい。
出来る事なら、明日は今日よりも少しは豊かで、また明るくあって欲しいと願いつつ、努力を怠らない。
明日は、暗い日ではなくて明るい日と書く。明日をどんどんと突き進めば、そこには老いが待ち、やがて死で閉じるのだが、それでも明日は、やはり明日。

もちろん私も、皆と同じ様に、安心を願っている。
明日も、今日と同じ様に仕事をしていたいし、社員も今日と同じ様に出社して来て欲しいし、久しく顔を見ていないが私の子供たちとか友人も、いつもと同じ様に明日を迎えて欲しいし、回廊のツバメ達も来年もまた来て欲しい、等と色々思っている。

(下へ続く)
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みのむし毛布 (1) [みのむしふとん]

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/175.jpg" Align="left" Hspace="20" Vspace="20"> このイラストは先日アップしたが、これぞ昨年の暮れから取り組んでいる[みのむし毛布]なんだ。
イラストの男の子は、かのオバマ新大統領の子供の頃をイメージしたもので、テーマは「CHANG」。

「みのむしふとん」を開発して、もう8年目。
なかなか大ヒットと迄は行かないが、成功の秘訣は、ただ一つ。
それは、成功するまで頑張ること!!だと、思う。

パッと見は、器用に何でもこなしそうで、我慢とは縁が無いタイプの私だろうと思われるが、なんの、結構とシブトクって、我慢強い。
もちろん、私としては、我慢なんて全く感じてなくって、強いて言うなら、意志が強いんだ、とこの際、自惚れておこう。(爆)

さて、この「みのむし毛布」も、いよいよ第一回目の製品が、今月末に仕上がる。
これまで、色々と試作サンプルを「作っては、やり直し」の毎日だった。

簡単に説明すると、掛け毛布と敷き毛布が、側部ファスナーで脱着出来、内部は、3Dの立体構造。だから、ゆったりなんだ。

「みのむしふとん」と違う点は、現状の布団の中に持ち込んで使える点にあり、早い話が、みのむしふとんの入門編。

それでも、コクーン(繭)や子宮の中で生活しているかの様な、安心感を満喫できる。

私は仕事柄、最も良いとされる色んなタイプの寝具を試している。
この冬は、一番下に「ワタセのもめんワタ敷き布団」、その上に温熱寝具「京都西川のローズ・テクニ」を敷き、更に、その上に「西川産業のシープトン」を敷いている。いずれもWサイズ。
ここに寝て、上から羽毛布団を掛けている訳だが、これらの総額は、百万円近い。

テクニーは、遠赤外線で発熱するから、この冬も万全の筈が、寒いからと言って、あまり高温に設定すると、寝苦しい。人間の体温は36℃で、これを越すと、寝られたものじゃない。(寝具内部の適温は、33℃とされている。)

昨年の暮は、とっても冷え込んだから、寒さのあまりに目醒めてしまうことが多々あり、『どうしたもんか?』と思案に暮れ、そこで閃いたのが、『そや!! みのむし毛布の試作品を使おう。』であった。

この場合は、「ものつくり」の視点ではなく、単に「使用する人」なのだが、これが誠に按配が良くって、それ以来、手放せなくなった。

(下へ続く)
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ろっ骨 [みのむしふとん]

『ろっ骨の漢字が肋骨、
 うーん、忘れてるわー。
 しかし、
 どうして「助」なんだろう?
 うん? 肋と助、良く見れば、字が違う。、』

なーんて、私は痛い肋骨を摩りながら、日記を書いている。

痛くなって、もう3日目。
実は、ストーブに蹴躓いて扱(こ)けた。

『うん?  [扱]が、コケル?』
はい、これも、どうでもよい。、

その拍子に、思いっきり肋骨を打ってしまった。

「なんで、ストーブみたいな大きなもんが目に入らんのや?」であるが、
最近、企画書づくりに忙しく、深夜に会社で仕事。
その帰り、いつもなら階段へのドアーを開けたままだと明るいのに、
その日は無精して、閉めたままで2階の電気を消した為、真っくらくら。
せめてお月さんでも照っていれば良かったのに、真っくらくら。

だから、ドスン、バタン、あ痛ァー、なんである。

『もしや、内臓に突き刺さっている?
 いやいや、そんなコトは ないだろう…
 罅(ひび)でも入った?
 (因みに、この皹は、手が荒れた時などのヒビらしい)』

態勢を変えると痛いし、咳をしても笑っても痛い。
そう言えば、クシャミをして肋骨に罅が入るなんてのも、あるらしいと聞く。

などと、心配しながら、病院へも行かず。

出会う人、出会う人に、「お前、肋骨をぶつけた経験あるか?」と聞いて、
「まぁー、2週間もすれば痛みが取れる」らしいので、先ずは一安心。

ところで、「今に蘇る本格的もめん布団」の企画であるが、なんとか纏まり出した。
これがK社に掲載して貰えれば、工場は大忙しになる。
更に言うと、
「みのむし毛布」とのナイス・マッチングで、日本の睡眠シーンが変わるのだ。

日本の風土に適した[人にも地球にも優しい寝具]。

そう言えば、「みのむしふとん」の企画の時は、奥歯2本を失った。
はい、2万字のレポートに100枚の製図と、根を詰めた結果である。
それを思えば、今回の肋骨は、安い代償かもな。

しかし、大詰めを迎えたと言えども、最後まで頑張るべし、なのだ。
「千里の道も、九九里をもって半ばとする。」だから。
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大黒様の衣裳 [みのむしふとん]

肋骨の痛みも随分軽くなった。
あれから医院へ行ったところ、折れてもなく、レントゲンで見る限りでは罅も入っていないと言う事で、先ずは一安心。

ところで、工場に少々変わった注文が入って来て、それがタイトルの「大黒様の衣裳」なんだ。
聞けば、新潟県のとある町に、古くから伝わる大黒様が居られるそうで、その衣裳を60年振りに新調することとなり、ワタセにオーダーが入ったのである。

オーダーと言っても直接ではなくて京都の衣装屋さん経由で、そこは能の装束なんぞも作られているのだが、今回は「綿入れ」だから、ワタセが担当することになった次第。そうそう、以前に作った四日市の大入道の衣裳も、同じルートだ。

これが、綿入れ前に思案している写真。このおじさんが縫製プロフェショナルの井上さんで、「みのむしふとん」も縫っておられる。


「社長、こんな難しいもん、とっても出けへん。」と、工場の連中。
「なに言うてんねん。しょうもないコト言うてんと、したら良いがな。ご利益もあるから。」と私。

だいたい、この手の難しいモノなんぞ何処も出来ないから、ワタセに来る!!んだから、受けて立つのだ。



さて、この生地は金襴緞子。糸は正絹で、なんと本金の金糸で織り上げた立派なシロモノ。もしも買うなら、一寸が何万円もする超豪華なものなんだ。



これは、糸瀬が金襴の着物に綿入れを済まし、縫い上げているところ。


着物は二枚重ねになっていて、中には、襟と袖に綿が入った襦袢。



そして、これが仕上がったところ。上の紫色は「お帽子」で、やっぱり綿入り。
縫製に丸3日、綿入れと仕上げにも3人掛かりで丸3日と、作業も大変だった。
恐れ多い話だが、本当は私が身に付けて写真を撮りたかったが、なんとも大き過ぎた。

この大黒様は、新潟県とは聞いたものの、詳しくは分からない。
ご開帳の時には、是非とも見せて頂きたい、と思っている。
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エジプト綿 (その1) [みのむしふとん]

このごろの私は、町は合併、仕事は「もめん布団」に忙しい。
合併に付いては、請願書を<a href=http://azuti.blog116.fc2.com/>安土ブログ</a>にアップした。

さて、ワタセの創業は明治6年だから、今年で135年か136年になる。
鷹の夢と大黒様の衣裳のお陰か、この冬に「もめん綿布団」を掲載して頂けるとあって、私は大いに張り切っている。

勿論、「みのむしふとん」や「近江本麻布団」でも頑張っている訳だが、「もめん布団」となると、どう言う訳か熱の入り様が違ってくる。
「みのむしふとん」は、私が世に送り出した商品だから、もちろん愛着が深いのだが、しかし「もめん布団」となると、格別な思いを持ってしまう。

『うん? なんで?』であるが、
それは、やっぱり130年を超えるワタセの本業であるから、先代、先々代、先々々代から連綿と営んで来られたDNAが騒ぎ出す、かの様な気がする。

私はワタ屋の子供であったから、幼い頃から沢山のワタやら布団に囲まれて育った。倉庫には綿の原料がいっぱい積まれていたから、友達を呼び、天井の柱に荒縄を結びつけて原綿から原綿へと飛び移る「ターザン遊び」に熱中した。
倉庫と製綿工場は別棟で、更には仕立て場があってと、それぞれ別れていて、工場と仕立て場では、怒られるから遊ばない。
仕立て場には、静かで穏やかな空気が流れていて、布団や座布団が作られる。少し酸っぱい様なワタの匂いと、ふわふわとしたワタの感触は、叔母の作業している姿とともに、私の遥か遠い甘い思い出なのだ。

この作業風景は、現在でもワタセ工場で引き継いでいるが、しかし全国的にみれば、この10年で「もめん布団」の生産は90%も激減した。掛け布団は羽毛に、敷き布団は合繊などの硬綿に変わったからである。

「もめん布団」は、そんなに良くないの?
と言うと、とんでもない話で、「もめん布団」ほど人間に心地よく、地球にも優しいものは他にない、と私は今でも思っている。

それじゃ、どうして売れないの?
に付いては、宣伝が下手、価格が安いから売りたがらないのと、作り手にしても、ものつくりの努力が足らない等、色々と考えられる。

こんな中で、通販生活さんからオファーを頂いたものだから、私としては、「10万円以上の羽毛布団より気持ちの良いもめん布団」「10万円以上の真綿布団よりも肌触りのよい木綿ワタ入り肌布団」の開発に夢中なのだ。

(下へ続く)
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京都工芸繊維大学の加藤研究室 [みのむしふとん]

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/197.gif" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">12年振りの再会だった。

写真右から、小寺君、荒木さん、渡辺君。
彼等は京都工芸繊維大学の加藤研究室の同期で、卒業して12年だから、みんな30代。もちろん、私は30代じゃないが、一緒に【ふとん博物館】を作り上げた仲だから、仲間なのだ。

彼らとの出会いは、平成10年にコットンボールを建てた時に【ふとん博物館】を新設したいと思い立ち、加藤力教授を訪ねた時が始まりだ。
加藤教授は建築学部造形工学科の先生で、雑誌に寝具に付いての論文が掲載されていた関係で、お名前を知るに及び、押し掛けた次第である。

当時は、カーナビもなかったから地図を頼りに京都工芸繊維大学を探し、ようやく研究室に辿り着き、
「あのぅ、僕は布団屋なんですが、【ふとん博物館】を作りたいと思ってお邪魔しました。」なんて挨拶から始めたと思う。

「へぇー、ふとん博物館ですか? どのようなイメージをお持ちですか。」みたいな質問に、
「隣の工場では布団を作っているんです。その作業風景が、博物館のガラス越しで見える様にしたんですよ。
安土小学校の子どもたちが工場見学に来るのですが、もっと丁寧な説明が出来たら、と思っていたんです。
見学だけじゃなくって、実際に座布団を作ってみるとか、寝具の歴史や睡眠に付いての学習も出来る様な、そんな博物館にしたいのです。」など、色々と抱負を述べた。
初対面で、いきなり押し掛けてのお願いだから、結構、熱っぽく語ったと記憶しているが、それが功を奏したのか、「やってみましょうか!!」と引き受けて頂けた。
そこで紹介して貰ったのが、当時の加藤研究室のゼミ員5名で、先生と私を含めた7名が、6か月ほどかけて完成した次第である。ちなみに、「みのむしふとん」は、この2年後に作り上げ、加藤先生には色々とお世話になった。

しかし12年も経って、わざわざ訪ねて貰えるなんて、とても嬉しかった。

学生だった彼等も、みんな社会人で、手土産なんかも頂けた。
「日本一美味い炒飯を御馳走するよ。」と中華を食べ、よく喋り、よく笑い、楽しい時間を過ごした。

別れ際に彼等、「社長、十軒長屋を作られたら呼んで下さいね。」
私「おう。」

「なに、十軒長屋?」とお思いでしょうが、それはまた別のお話。
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愚図愚図日記 (その2) [みのむしふとん]

(上からの続き)

そう言えば、今日、高島屋デパートから電話があって、「みのむしふとん」のイベントをして欲しい、らしい。

また【紙芝居(みのむし君の冒険)】を、することになるかも。
はい、ネット仲間さんには紙芝居の手伝いをして貰い、大変お世話になった。

難波の高島屋では、小春さん、Tori。さん、あおいさん、Rayno。
日本橋では、warabi、あおいさん、くっしー、mitsu君。
二子玉川では幸せものさん。

ネット日記を始めて、もう8年。
最初の5年ほどは、みんな盛り上がった。

4年前の合併騒動の時なぞは、小鬼さんに書き込みも貰って、
そうそう、スイスの小鬼さん一家と、はーちゃんファミリーは、ネムハーに来てくれたし。
九州のmieさんから貰った巾着袋は、今も判子入れとして使っているし、カレンダーの時期には、花也さんルリビさんに送っているし、ガブリン、ポチさん、umeさん、小麦さん、とみんな懐かしい。

それが、この2年程、みんな日記を書くペースが落ちた。
と言うか、
8年の歳月は、やっぱりみんな年を食うし、生活環境も変わる。

少し寂しい感じもするが、それはそれで良いのだろう。

昔は、先と言うか、将来なんて疲れる程に永いと感じていたが、
流石に私の年齢ともなれば、『少し時間を大切にしなくては。』などと、柄にもなく思ったりする。

先日、ある人が、
「私、これまでずっと、今が一番充実している、と思っている。」と聞かされ、
「そうそう、僕も、ずっと、そう思って来たよ。」と答えた。

でも、それに続いて、ふと、「今は、そう思っているけど、これから先は、どうかなぁ~。」と思った。正直な感想である。

あれ以来、この会話を時々思い出す。
70になっても、80になっても「今が人生で一番良い時だ。」と言いたいが、『果たして、どうなんだろう?』と思ったりする。

そう言えば2年程前に、
70歳をゆうに過ぎた京都の叔母から、「私、今が人生で一番、幸せよ。」と聞いた時、なんだか、私まで幸せを感じた。

この【なんだか】を言葉にするなら、
先ずは、叔母の幸せが嬉しいのと、次は『そうか!! 70を過ぎても幸せなのか!! なら年をとるのも怖くないぞ。』と、自分自身が安心した、である。

と、ぶつぶつと愚図愚図日記を書いて、深夜の2時。
気分転換も出来たから、そろそろ寝るべぇー。
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へちま (その1) [みのむしふとん]

今年の夏に、東急ハンズさんで展開する予定の「近江本麻パッド」が、概ね仕上がった。

ハンズさんでは、以前、「みのむしふとん」で、何店舗かにお世話になったが、今回は20店舗全店で取り扱って貰えるらしい。
と言うのは、「みのむしふとん」の場合は、ワタセがメーカーと卸の両方を担当した為に、なかなか手が回らなかった。
餅屋は餅屋との喩の如くに、今回の「近江本麻パッド」に付いては、メーカーに徹して、卸は仲良しの問屋さんにお願いした。商品に付いている品表とかラベルには、製造元(株)ワタセと書かれているが、問屋さんとの共同提案なのである。

私の社長歴は、30年を超える。
借金を得意とする為に、なかなかお金は溜まりそうもないが、それでも、『まぁー、良いか』と踏んでいる。

若い頃、「財産は、金でもモノでもなく、人間関係に在り。」と、それなりに思っていたが、「うん、やっぱり、ね。」と、今も思う。
仕事に限らず何であれ、同じ目線で共に何かを築き上げること以上に、楽しいことはない。

社員も、勿論、この人間関係の内に入るが、この頃、社員には、「なんとしても能力を身に付けよ。そこには苦労はあるが、一度、身に付いた能力は、お金みたい落とすことも取られることもないからな。」と、よく話している。

以上をまとめると、(えっ? まとめんでも良いって? まあー、そう言わんと。、)

能力を共に磨いたり、
人の能力を理解し、また自分の能力を理解して貰う中でこそ、仕事の人間関係は築かれるのだ。

さて、かく言う私が、今、取りかかっているのが、【へちま枕】

これまで天然繊維に拘って来た私だから、一般的に中素材として使われている「ウレタン」を良しとしない。

使えばいずれ枯渇してしまう化石繊維や化石素材が気に入らない。
やっぱり畑で採れる植物に拘りたい。
使い終われば、全部が植物繊維だから、「近江本麻パッド」と同じく土に戻る。

そんな訳で、目を付けたのが、「へちまタワシ」
『うん、これなら軽くて通気性もあり、しかも弾力に富む。』

毎夜、へちまの勉強をし、あれこれ設計図を書いた。

そして、本日、ようやく納得できる試作品が完成した。

それでも未だ問題が残る。

(下へ続く)
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年の瀬に。 [みのむしふとん]

『今年も残り僅か、かぁ~』と、そんな時期になってしまった。

今年も、あれこれ、忙しいと言えば忙しく、それなりに一年を生きた!!、って、そんな感想かな。

会社の方は、不景気の中、みんな頑張って呉れたから、前年より2割近く増収増益した。
そうそう、特許出願中であった「みのむしふとん」も、クリスマスの日に、認可され、喜んでいる。

8月に始めた【安土経済人塾】も、5回を終え、1月、2月の担当講師も決めた。
当初、回を追う毎に、参加人員が減るのでは?、との心配もあったが、増える傾向にある。
お蔭で、これまで、呑みに行ったり、を殆どしなかった私も、そんな機会が随分と増えた。
これも、「まあー、よし」としている。

さて、1月に、禁パチして以来、11月まで、ずっと通したものの、その切っ掛けとなった友人の息子が止めていない、と言う事もあり、また暇も出来たことだからと、12月から禁パチを解いた。

そうしたところ、「なんとまぁー」、今月、90万円も勝ってしまった。
勿論、ふらっと夕方に行って、空いてる台に座るのだが、直ぐに掛かって、連ちゃんする。この前なんか、ずっと出っ放しで、4時間も打つ破目になり、結果、換金したら18万とか、儲かる時は、こんなもんだ。

と、ここまで書いて、「文字数を数える」を叩けば、550字強。
だから、もう少し、続ける。

1週間程前だろうか、
あまりにも日記を更新していない事を、深夜、布団の中で思い出し、真っ暗な状態で、『ぶつぶつ…』と、文を思い浮かべた。

それは、こんな感じ、だった。

そろそろ、日記を書かなくっちゃ
うーん、何にしようか?

そうだ!!
【僕は、】から、始まる日記を書こう!!
と、思い付いた。

うーん、僕は…、
に、続くのは、
僕は、何処から来て、何処へ行くのか?
もしくは、
僕は、誰
他には、
僕はこれまで何をして、何をしなく
これから何をしたくて 何をしたくないのか?

もっと、色々とあるだろうが…
と、ここまで考えた時あたりから、
『そもそも、僕は で始まるフレーズ自体が虚しいのではないだろうか?』
と、ややこしい夢想の世界に入り込んだ。

暗闇での思考は、恐ろしい。
単語も、イメージも、虚ろになり、暗闇に溶けてしまう。

と、まあー、これは布団の中での話で、今は、深夜とは云え、明るい事務所だから、至って、元気。

では
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「みのむし毛布」&「備え」 (その1) [みのむしふとん]

震災のニュースに目が離せない。

テレビを通して悲惨な状況が映し出される度に無力感に苛まれ、もどかしさのあまり、つい憤りすら感じてしまう。

そんな中、カタログハウス社から「被災地に送るものがないか?」と打診を受けた。
個人では送れない現状だから、ありがたく協力する旨を伝えた。

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/309.gif" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">「みのむし毛布」100枚を本日、出荷し、以下のメールを添えた。

========
阪神大震災の阪神大震災に支援に行った際に私が一番悲しかったのは、避難所となった体育館の光景でした。数百枚に及ぶ布団か所狭しと並べられ、プライバシーも守れず、寒さから人間を守る役割も果たせない姿が痛ましく、布団に携わる者として胸が潰れる思いでした。
この悔しさが心底に刻まれ、7年後の「みのむしふとん」の開発に繋がり、みのむし毛布も出来上がった次第です。
なんとか、被災者の方々にお送りする術がないものかと悩んでおりましたところ、御社より御申し出を受け、支援できる機会を頂けたこと、心より感謝申し上げます。
========

なんとか、と思うが、私たちに協力できることは少ない。
そんな中、「逃げる途中、瓦にあたって死亡」なるニュースが引っ掛かっていた。

『防災ずきん…、しかし、いつも傍には置かないよなぁー。
 そもそも、地震なんて、忘れた頃に突然、なんだから…

 そうか! 咄嗟の時に、防災ずきんに早変わりするものが、あれば良いのだ。
 
 うん! それが座布団だったら、いつだって傍にあるし。』

と、3日前に思いつき、3時間で試作品を作り終え、本日、製品化した。

(下に続く)
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ベスト・オブ・トレたま [みのむしふとん]

ワールドビジネスサテライトという番組で「みのむしふとん」が紹介されたのが、2001年4月9日。

そして本日、番組が3000回を迎えるという事で、この12年間に放送された中から15作品をノミネートし、人気投票が行われることになり、私の開発した「みのむしふとん」がノミネートされました。

更に投票の結果、上位3作品の入賞者にはTV出演のご褒美まで用意されていると云うんですから、びっくりです。
そこで日記をご覧頂いてる皆様には、是非是非、投票をお願いしたいのです。

投票期間は、4月15日~22日(金)まで。

<a href=http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/toretama3000/index.html?movid=20010409>投票は、こちらから。</a>

よろしくお願いします!!

=「みのむしふとん」の誕生秘話 =

それは、阪神大震災まで遡ります。
安土救援隊を組織して、本宮第二小学校へ炊き出しに行った時のことです。
ちょうど今の東日本大震災の光景の様な、あたり一面が焼け野原状態で、なんとも悲惨でしたが、私は、ただただ唖然とするばかりで、現実のものとは思えませんでした。
今思うと、その情景を置き換えるべきモノ(気持ちとか情感と云ったものでしょうか?)が、私の心に内在していない為に、気持ちが付いていかなかったのです。ですから私は、現実味が無く、まるで映画のセットを見ているような感覚でしかなかったのです。

そんな私が体育館へ行き、被災者の皆さんが寝起きしておられる姿を見た時、初めて胸が潰れるほどの悲しさと悔しさに襲われ、泣いてしまいました。

『あの時の悲しさと悔しさは何だったんだろう?』と、あの日以来ずっと引き摺りました。

それは、だだっ広い体育館に所狭しと並べられた災害用の毛布や布団と何百人の被災者の方々。
そこには安眠どころか微塵の癒しすらも感じられませんでした。

悔しさとは、私が布団屋として、こんな布団しか作って来られなかったと云う懺悔に近い悔しさです。

そもそも布団は【癒し】でなければならない。
蚕の繭とか蓑虫のミノとか、自然界の生き物の方が格段に優しさに包まれて眠っている。
どうして、人間界の布団は、何百年もの間、ずっと四角なんだろう?
そんな自問自答の末に誕生したのが、この「みのむしふとん」なのです。

そして今、東北の惨状をテレビが映し出しています。
やっぱり、体育館の情景を見る度に胸が潰れます。
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「ベスト・オブ・トレたま」 受賞できました。 [みのむしふとん]

応援して下った皆様、そしてテレビ東京WBSスタッフの皆様、ありがとうございました。

おかげさまで、トレたま3,000回スペシャル「ベスト・オブ・トレたま」受賞できました。
これまでの「トレンドたまご」放送3000回の中から金賞、銀賞のベスト3を選ぶ企画で、その候補の15作品に選ばれただけでも嬉しかったのですが、なんと、受賞できたんです。

<a href=http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/toretama3000/index.html?movid=20010409>こちらが、その投票ページです。</a>

付きましては、明日の日曜日の12過ぎに、テレビ東京さんが弊社に撮影に来られ、26日(火曜日)PM11時~12時放映の<a href=http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/>WBS(ワールド・ビジネス・サテライト)</a>に、私も生出演できると言うオマケ付きです。

お近くの方は、明日の12時過ぎから「ねむねむはうす」で収録がございますので、どうぞご見学にお越しください。
収録内容は、受賞の喜びと、その後の「みのむしふとん」の進化です。

進化に付きましては、横幅70センチのスリムタイプ「みのむしふとんアイドリング無用」、「みのむし毛布」そして、今春から発売予定の「クワガタ」です。

先日の日記にも書きましたが、みのむしふとんを考えた切っ掛けは、淡路阪神大震災に炊き出しに行ったときに見た体育館内の情景です。
あれから16年経ったのですが、東日本大震災では、やはり機能を果たせないままの布団の形状に胸が潰れます。

せめて寝る時くらいは、癒されたい。

そんな思いから在庫にあった「みのむし毛布」120枚を被災地にお届けしましたが、みのむしふとんは手作りオーダー・メードの為、在庫もなく、お届けできませんでした。

400年の間、進歩のない布団の形状をなんとかしたいと、布団屋としての責任を痛感し、頑張っています。

今回の受賞を励みとして、これからも癒しの開発を続ける所存です。
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トレたま出演 [みのむしふとん]

4月26日、テレビ東京のWBS(ワールド・ビジネス・サテライト)に生出演した。
午後11時からの生放送だから集合が午後9時。
だから安土出発も午後4時過ぎと、私には好都合の時間帯だった。

テレビでは、やっぱりノリが一番かと成り切ることに務めた。
『表彰されるんだから、ニコニコしなければ…』と、笑顔で臨む。

出演している私には、どんな風に映っているのかが分からない。
『果たして、テレビ映りは…どうだったんだろうか?』と気になり、収録を終えて携帯電話をみると、ポチさん、散髪屋の浩ちゃんをはじめ友達から「男前やったでぇー」メールを頂いていた。

『そうか、そうか、うんうん。。』と、お世辞だとしてもやっぱり嬉しい。
友人から、「ちょっと、にやけ過ぎやん。」と突っ込まれ、『やっぱり…』とも、思う。

更に嬉しかったのは、なんと放送中に、早速、ワタセの楽天サイトから「クワガタ」の注文が入っていて、翌日も全国から問い合わせの電話がいっぱい入る。やっぱり全国放送の威力は大きい。

テレビ出演での表彰、「クワガタ」の宣伝も嬉しかったが、個人的には、もう一つ楽しみがあった。
それは、キャスターの小谷真生子さんに会えること。実は、彼女がニュース・ステーションに出演されて以来のファンなのである。



収録が終わった後、小谷真生子さんが私たち3名の待つ報道局の応接間まで、わざわざお礼に来て頂いた。
『みんなに心配りのできる方なんだなぁ~』と感心した。

「一緒に写真をお願いできますか?」と頼んだものの、あいにくデジカメを持っていない。「アチャー」である。

隣をみれば、[丸い氷]を作る銀賞の近藤さんがデジカメを持っておられ、
「ごめん、貸して貰える。」とお借りし、めでたく撮影。
そして今日、画像をメールで送信して貰った。
「近藤さん ありがとうございます。」

サンモトの幡野氏も、私同様と、小谷さんのファンで、彼から、生小谷さんの様子を調べてくる様にと頼まれた。
『最近、ぽっちゃりされたのでは…』とか、『いつも上半身しか見えないから、スタイルはどうなんだろう…』とかである。

生小谷さんは、テレビで映るよりは、ずっと、ほっそりされ、ずっとお美しいお方で、スタイルもスラッーとされていました。 ご報告です。

さて、本日は、お客様からお祝いの花束を頂いた。



出演から2日経つが、まだまだ嬉しい。

 




 


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明日から東京 [みのむしふとん]

季節柄、出張が続く。

これから夏を迎えるが、商品は冬物。

北京では、これからテレビショッピングが始まるらしく、そこに「みのむしふとん」を出したらどうか、との話があり、明日は、この打ち合わせ。

 

 

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テレビ朝日の「お願いランキング」に!! [みのむしふとん]

一昨日、テレビ朝日さんから、「みのむしふとん」を送って欲しいとの電話を受けた。

番組タイトルは、「お願いランキング

番組放送日時は、毎週月曜~金曜 24:20~25:15 (55分番組)

企画内容  「快眠グッズ」

放送予定日 8月30日、9月6日 火曜日 24:20~25:15 放送予定

 

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プロフェッショナルとは。 [みのむしふとん]

この問い掛けに際し、一昨日、NHKの番組【プロフェッショナル】にて、デザイナーの梅原真氏、「身近な事柄からの空想を具体化する人のこと」と答えた。

元来、空想好きの私は、大いに納得した。

あれから2日経つが、この言葉を、自分に置き換え、あれこれと反芻している。
それは今、格闘中の「へちま枕」だったり、10年前の「みのむしふとん」だったり、また学生時代にアレコレ考えた社会のことだったり、である。

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京都西川から、「みのむしふとん」 [みのむしふとん]

来年度、早々から、京都西川さんから「みのむしふとん」が発売されることになった。
先ずは、「みのむしふとん」のベビーが発売される。

一昨日、弊社保有の特許権、商標権、意匠登録権を許諾する契約を結んだ。
所謂、ロイヤルティー契約で、「みのむしふとん」の製造並びに販売を、京都西川さんからも遂行され、弊社はロイヤルティを受け取る仕組みである。

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中小企業者の営業経費は80円と心得よ。 [みのむしふとん]

先日、テレビ東京WBSの「トレたま」に私の開発した「快眠へちま ラファス」が紹介された。
「トレたま」は、8年前の「みのむしふとん」に引き続き、2度目の出演である。

「トレたま」で弊社が放映された2日前、五個荘で会社を経営している社長から電話があった。彼は、能登川青年会議所時代の友人で、用件は、彼が開発した新製品を「トレたま」に紹介して欲しいとのこと。

「私なら、テレビ局に人脈があるのでは?」との期待をしてのコトである。
私の返事は、「そんな近道できる人脈なんか、ないよ。
                  ちゃんと営業しなさい。経費は、たったの80円なんやから。」だ。

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東海テレビの朝の番組「スイッチ」 [みのむしふとん]

「みのむしふとん」と「ラファスまくら」が東海テレビに出ます。
関西では、見られないので残念ですが。。
ちなみに、出演は布団と枕で、私は出ません。

 東海テレビ 番組名 「スイッチ」
日時 10月24日 木曜日
    朝の09時50分~11時15分

 放送時間は、スタジオと収録を含めて25分程度


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「みのむしふとん」のバージョンアップ [みのむしふとん]

 この世に無かったモノを生み出す作業を「発明」と呼ぶが、これまで私が発明したモノは、「みのむしふとん」と「ラファス(へちま)製品」の2つだ。いずれも特許を取得して現在に至るが、弊社の様な中小企業では資金と人材の関係で「ものづくり」に10年と「需要開拓(販売)」に更なる10年の歳月が必要となる。なにも、そんな無理して発明しなければ良いのに。」と思いもするが、絶えず進化しなければ立ち行けないのも事実である。

さて、発明後そろそろ20年近くなる「みのむしふとん」であるが、昨年あたりから急に注文が増えだした。
そこで、このチャンスを生かすべく、今年は以下の3つの計画を考えた。 

 

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月間リビングに掲載されました! [みのむしふとん]

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 打ち直しが大きな柱に


 明治5年創業という歴史を持つワタセは、滋賀県近江八幡市で売り場面積120坪程度の標準的な寝具店で、これと言った特徴は見られない。

 しかし、4代目の辻貴史社長は、あの独特な形状の布団「みのむしふとん」を考案したり、学生と一緒に勉強して「ふとん博物館」をつくり、果てはヘチマ素材を寝具に応用するなどユニークな考えの持ち主だ。

 

続きは、月間リビングのサイトでご覧ください。

 




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花泥棒が逮捕され、2社から取材を受ける [みのむしふとん]

「花泥棒が逮捕され、明日、テレビ放映される。」時間が許せば、ご覧あれ。
放映日は、10月16日(月曜日)の朝8時からで、
番組名は、フジテレビ:小倉アナ【とくダネ】とテレビ朝日:羽鳥アナの【モーニングショー】だ。

私は被害者として、一昨日と本日に取材を受けたのであるが、逮捕となれば、ダメージの大きさから言うと、果たしてどちらが被害者なのかとも、思ってしまう。

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安土の夢 [みのむしふとん]

安土の夢 圧縮_000034.jpg 「安土の夢」と題した冊子を書いた。
 

60頁程度の冊子で、晩秋に仕上がり、500円(税込)で、町内の「めんか書店」と弊社で販売している。


題字は岡本太郎氏に頂いた色紙を載せ、タイトルも「安土の夢」にした。

第一部は里山再生で、第二部は安土まちづくり奮闘記である。



里山再生マップ.jpg

これは「里山のマップ」で、弊社の岩田さんに描いてもらった。


第一部では稲本さんの尽力と里山が再生される様子を書き留め、第二部では昭和・平成を通しての私の心と行動の軌跡を辿ってみた。



目次とあとがきを以下に掲載する。

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