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ガキの使い 廃旅館1泊2日 (その1) [みのむしふとん]

私は、人をビックリさせるのが大好きで、その好きさ加減は三度の飯よりも好きと思える。

ビックリにも、単純なものでは隙をついて「ワッ!!」であるとか、少し込み入った悪戯をして引っ掛けるとか、またサプライズで歓ばせるとか、その他、お化けの話で怖がらすとか、その手法は色々だが、何れも大好き。

『どうして?』と聞かれると(誰も聞いてないしぃー)、
私の答えは、たぶん、こんな風か。

「だって、退屈しているんだもん。」

「何に退屈してるの?」と突っこまれれば、
「やっぱり、日常でしょうか。」と答えざるを得ない。

仕事もそうだけど、生活や日常茶飯事って、それらは、[継続]なり[連続]が基本となっている。もちろん、昨日と明日は、全く同じではなくって、少しずつ変化をしている訳だが、殆どの場合は遅遅として進まない程の「少しずつ」で、そこに安心が存在する。

「安心」とは、「変わらないモノ」であり、たとえ変わったとしても想定の範囲と云うか、先が読めた変化なり、更に自分にとって都合の良い情況への変化だ。

安心の概念に付いては、以前、「みのむしふとん」を開発するにあたって考えた事があるが、その時の私の結論は、そもそも「安心」と言う概念自体は具体として存在しなくて、それは、不安なり不測の事態に「それなりに」対処している「形」を以って、安心と呼んでいる、であった。
もちろん、「無知」から生まれる「安心」は、この範疇ではないが、残念な事に、人はいつまでも無知を通せない。

人は、安心していなければ一日たりとも過せない存在と見え、その為に色んな努力をする。
昨日と同じ様に今日を迎え、今日と同じ様に明日を迎えたい。
出来る事なら、明日は今日よりも少しは豊かで、また明るくあって欲しいと願いつつ、努力を怠らない。
明日は、暗い日ではなくて明るい日と書く。明日をどんどんと突き進めば、そこには老いが待ち、やがて死で閉じるのだが、それでも明日は、やはり明日。

もちろん私も、皆と同じ様に、安心を願っている。
明日も、今日と同じ様に仕事をしていたいし、社員も今日と同じ様に出社して来て欲しいし、久しく顔を見ていないが私の子供たちとか友人も、いつもと同じ様に明日を迎えて欲しいし、回廊のツバメ達も来年もまた来て欲しい、等と色々思っている。

(下へ続く)
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