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愛校心とか、地域に愛される学校について。

母校の甲子園出場が決まったことに触発され、あれから良く、高校時代を思い出す。

『どうして、嬉しい?』であるが、
一般的に持ち出されるのが愛校心であるが、『それって、なんだろう?』と、つい訝(いぶか)しんだりする。

敢えて言うならば私の場合、それは、3年間過ごした日々であり友人であり恩師だろうか。
そして、懐かしい思い出の殆どは、ちよっとした悪さをしたり、やんちゃをしたりの、不真面目な事象に尽きる。

一方、母校が地域に愛されていたと感じたのは、愛校心とやらの七面倒くさい理屈も不要で、今思い出しても清々しい。
少し、紹介したい。

 

私は、中学校の卒業式すらも遅刻した程の遅刻魔であった。

当日、慌てたのは、私よりは寧ろ先生であったらしい。
なにせ、卒業生代表の挨拶担当が来ていないのだから、私の家に電話。

電話を受けた父親は、
「おい、お前。今日は卒業式らしいな。もう始まっているらしい。
 学校から、早く来いと、電話が掛かって来たから、早く起きて学校へ行け。」である。

だからと云って、車で送って呉れる訳でもなく、急いで自転車を飛ばしたものだ。

私は幼稚園児の頃より、ずっと朝寝坊で、それが、つい2年前まで続いたのだから、自分でも呆れる。
20代から50代は、更に朝寝坊に拍車が掛かり、朝に寝て昼に目覚める生活がずっと続いた。

高校は電車通学だから、電車を一本乗り遅れたら、10分や20分の遅刻では済まず、朝一の授業は、殆ど間に合わない。
それでも、やっぱり乗り遅れるのが私で、学生の誰一人歩いていない彦根駅にポツンと独り降り立ち、高校への道のりを急いだものだ。

彦根駅から高校までは、そこそこの距離で、徒歩で20分程度だろうか。
速足で15分、ちんたら歩いたら30分は要する。

ここまで来て、なにも速足で歩くのも無駄な様に思われ、私としては、ちんたら歩きたいのだが、喋り相手もなく、それでは流石に格好も付かないだろうと、しぶしぶながら少し速足で歩く。

これが、3年間の間に5回や10回ではなく、随分とあった。

しかしながら、私の足で歩いたのは、その半分もない。

「もしや、タクシー?」
「いえいえ、とんでもない。」

「それじゃ、バス?」
「バスなんか走っていませんでした。」

答えは、車!!
重たい鞄を提げて、いそいそ歩いていると、どこからともなく車が寄って来て、私の傍に停まる。

ある日は乗用車だったり、ある日は配達途中の軽トラックだったりが停まって呉れ、
「なんや、遅刻か?  乗れ!!」である。

私は手慣れたもので、「すんません、ありがとうございます。」と、飛び乗り、5分程度で学校に着く。
多い時は、3回に2回は、運転手付きの車通学であった。

この時、思ったのが、「おぉ、我が高校は、地域に愛されているんだなぁ~。」である。

人から親切にされ、大事にされ、愛されることによって、人は、人に親切にすることも、人を大切にすることも、人を愛することも学ぶ。

私の愛校心は、朝寝坊して遅刻した私を車に乗せて呉れた彦根の人たちに育まれた。

つい、今しがた、毎日新聞の広告の電話が入った。
なんでも、8月8日の朝刊掲載「めざせ甲子園」の広告依頼。
一番小さい枠で、21,000円とのこと、
車に乗せて頂いた感謝の気持ちで、一口、申し込んだ。

 

 


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