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平野さんに、8か月ぶりに電話したところ・・・

工場の製綿機械や縫製ミシンが故障するのは、結構とある。

簡単なものだと工場の人間が直せるが、手におえない場合は、私に回ってくる。
たいていは直してしまうが、どうにもならない場合も年に2度か3度程度ある。

そんな時には、機械メーカーへ、が普通なのだが、
この30年で、わた屋(製綿業者)さんがめっきり減った為に、機械メーカーも廃業や倒産に追い込まれてしまった。

「じゃあ、どうしている?」であるが、
会社は無くなっても、過去に勤めていた技術者さんが居られ、その方が平野さん。

平野さんとは、御年70歳を少し超えられたくらいで、かれこれ20年近くお世話になっている。

いつも、「大至急、来てもらえますか?」と頼んでいるのだが、「はいよっ!!」と、翌日の早朝には大阪から車を飛ばしてきた呉れ、昨年も、2度ばかりお世話になった。

2年ほどに病気前に病気になられ、「頼みますから、長生きして下さいね。」とお願いしていたら、「大丈夫ですよ。」とニコニコされていた。

そして、今日。
「カード機械を見て欲しい」と、工場から電話を受け、一応は直したものの、「もしも」と念の為に、平野さんの携帯電話に掛けた。

この「もしも」とは、もしも、上手く私の処置が間違っていないか? のもしも、である。

普通なら、直ぐに「あぁー、社長。どうしました。」と、しわがれた平野さんの声が聞こえる筈が、なかなか応答がない。

「ひょっとして、また入院かな?」と、着信音を10数回、待っていたら、そこに女性の声。

「あのう、平野さんでしょうか? 私は、・・・・」と云うと、
「主人は、昨年の11月に亡くなりました。」との返答。

「・・・・そうでしたか。そんなこととは知らずに、失礼いたしました。 ご愁傷様です。」
等々、ご挨拶を申し上げながらも、元気な平野さんの顔が脳裏に蘇える。

機械メーカーも潰れ、熟練の技術者も他界されてしまった「これから」を、「どうするよ?」なのだ。

仕事が込んだ時、納期に追われている時、
こんな時に限って、機械が故障したりするものだ。

なんとか直そうと頑張るが、
それでも、どうにもならなかった時、平野さんに電話して、
翌朝に、サッサァーと直して貰うと、平野さんが神様に見えたものだ。

「神様も死ぬんだ・・・」

今更、思っても始まらないが、
平野さんと並んで、一緒の写真を撮っておけば良かったのに。

そしたら、その写真を工場の時計の隣りに飾り
「これから直すから、平野さん!! 僕に力を貸しとくれ。」と頼めたのに。


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