シンボルタワー取り壊しの話しの出元は?
昨日、この件で、木野区長に面談した。
用件は、「どうして、シンボルタワーの取り壊しを含めた案件を議題に挙げたのか?」である。
返答は、こうしたパブリックコメントがあったから、とのこと。
「へぇー、」である。
意見と云うものは、百人百様だ。
しかし、行政が、敢えて議題に挙げたとなれば、意味が違う。
そこには、当局に、それなりのビジョンなり、目算なり、予算があることが前提だろう。
もしも、パブリックコメントを言うならば、
例えば、現在の新市の名称「近江八幡市」を「安土市」「安土八幡市」とかに再考するなんてのは、どうよ。
これならば、沢山の署名もあるし。
他にも、小学校の移築とか、旧の八日市市への道路が狭いとか、様々な要望があろう。
これらを、議題に挙げるとするなら、それなりの調査なり、覚悟が必要となる。
だから私は、
「議題に上げる以上は、それなりの意見なり、今後のビジョンなりが、あってのことか?」
と聞けば、「何もない、」とのびっくりする返答。
そんな中、「なぜ、これが議題に挙がったのか?」に付いて、質問した訳だが、返答は、こうだった。
それは、駅前の再開発に及んで、有識者に依るフォーラムが設けられ、その中の意見に基づいてのモノ。
このフォーラムは、何なのかと聞けば、常楽寺の水区長が委員長で、副委員長は、千貫さん。
「ここから上がったものは、議題にせねばならないのです。」が、どうも主たる理由らしい。
そこで私は、早速、
このフォーラムの委員を務めていた商工会の野瀬局長に出会い、
「フォーラム内で、この様な意見をあげたのか?」と質問したところ、
「いやいや、そんな意見にはなっていない筈、です。区長には、なんども言ったのですが。」との返答。
こうなると、話がまるで見えない。
仮に、駅前再開発に及び、更に発展的なビジョンを策定し、それなりの予算も付いてのことならば、賛同できるが、ただ単に、取り壊すだけ、では余りにお粗末。
以前に、相撲櫓の上に鎮座された時計が取り除かれた時の教育長が、現の木野区長。
取り除いた理由は、「危険だから。」の一点のみ。
しかも、その時計のその後は、「ごみ処理場行」であっとか。
何の躊躇もなく、平気で「捨て去る」気持ちが、私には理解できない。
この時に前後して、四の坪の辻尚弘(滋賀技研)さんが寄贈された「手作りの案内板」も、老朽化したとの理由で、破棄の憂き目。
辻さんの奥さんが嘆かれていた光景が、未だに鮮明だ。
普通ならば、先ずは、維持・修復を第一義に臨むのが当たり前と思うが、老朽化して危ないから破棄してしまえ、は如何なものか?
さて、今回の顛末であるが、考えるに、どうも単純なことらしい。
一旦、行政が、「取り壊しも含めて再検討」と切り出したならば、大方は『そうか、取り壊されるのか…』と受けるのが普通であるのだが、「まさか、そんな話になっていようとは・・・」では、政治的センスが微塵もない、と言われても仕方あるまい。
行政の然るべき立場の人間は、そのへんのおっさんやおばさんが、あれこれ噂をするのとは訳が違うのだから、よくよく考えて、行動して欲しい。
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