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麻 (その2)

(上からの続き)

おふとんは、「布」と「わた」と「空気」の3つの要素からから出来ています。それぞれに拘ってこそ良い布団になります。

今回、ワタセの提案する「本麻ふとん」は、市場に出回っているものとは随分と違うことをご理解下さい。

近江の麻の沿革

「麻」は「もめん」よりも古い歴史があります。中国の湖南省の遺跡では、紀元前2000年のミイラに麻布が使われ、またエジプトのピラミッドでも麻が使われています。専門家の間では、人類は5千年前から麻を使っていたとされています。
日本においても、遥か昔から大麻の皮を剥いで使われていました。古くは、神武天皇の装束も麻布だと言われています。
しかし麻織物が産業として発展したのは、それほど昔のことではありません。近江では、産業として鎌倉時代から麻を紡ぎ、信長時代の楽市楽座にみられる商業と産業振興以降から江戸時代を通して地場産業として育ちました。

戦後の合成繊維の台頭までは、麻が糸や布の主流であり、滋賀県は、その60%を担ってきました。現在でも私の住まいする湖東地方は、麻の撚糸、織り、染め、整理、等々の工場が数多く残り、私の友人の多くも麻に従事しています。

近江の麻布に関しては、高級服地の素材に使われ、友人の会社(麻糸商会)が作った麻布がシャネルの服地に使われる等、その技術は英国に西欧に肩を並べる所まで来ています。また、昭和52年に「近江上布」は国の伝統的工芸品に指定されました。

どうして麻織物が近江の地場産業に育ったかと言いますと、一つには近江の風土であり、もう一つは近江商人の活躍に依ります。
蒸し暑い日本の風土には、麻は最適な繊維です。しかしながら、麻には難点もあります。麻は技術を要し、とても切れやすいのです。
周囲を山に囲まれた近江盆地は、真ん中に琵琶湖を擁しています。だから、近江の夏は湿度が高くて蒸し暑いのです。実は、この蒸し暑い気候が、切れやすい麻を織るのに最適でした。高温多湿に強い麻は、高温多湿の風土の中でしか紡げませんでした。更に、近江商人は、特産品の麻布や蚊帳を全国に売り歩き、日本各地から麻の原料も仕入れ、江戸時代には安定した地場産業へと育ちました。

(下へ続く)
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